長時間悩むべきではないかもしれない
悩むことが解決につながるのか
最近、長時間悩むことは物事の解決に繋がらず、むしろ遠回りなのではないかと考えるようになりました。
私はもともと、計画は細部まで詰め、万事が滞りなく遂行するか何回も確認しないと気が済まない性格でした。 しかし、この数年間で様々なことに追われるようになり、長時間悩むことは効率や問題解決の面で最善でないと考えるようになりました。 当初想定になかったことが起こり、入念にチェックした計画はすぐさま変更を受けるということが日常茶飯事になったのです。 悩むために費やす時間を、計画実行や変更の判断に使うべきだと感じるようになったのです。
情報収集・整理と判断に時間を使う
物事に対して最善の判断を下すために必要なことは何なのでしょうか? 一般には、判断のための情報を収集し、それらを重要度に従って整理することだと言われています。
非常に卑近な例として、明日の出かけ先として東京タワーと近所の公園のどちらにするかを決める場合を考えます。 東京タワーを選択するメリット(非日常・エンターテイメント・買い物ができる)やデメリット(混雑・遠距離)を並べます。 そのためには、東京タワーに明日行くとどんなことが待ち受けているのか(イベントは? 混雑状況は?)も調べる必要がありますね。 そして、それらがどれくらい自身にとって重要であるかを目算します。 これを近所の公園に対しても行い、メリットとデメリットの点数を集計して、より点数の高い方を選択するわけです。
こういったことは、物事が複雑だったり重大だったりするほど時間が掛かります。 私は、悩んでいる頭の中で情報収集や整理、判断はできません。 悩むことに使う時間をこういったことに使うべきだと考えるようになりました。
大抵のことは方法論で片付け、個人的なことで悩む
裏を返すと、こういった方法論が役立たない場面では悩んでもよいのかもしれません。
方法論で解決できるような事柄は方法論で解決をし、非常に個人的な事柄について深く悩むことが、やるべきことが溢れている現代社会において自分のためになるに思われるのです。